ウサギと亀に学ぶ、取り組む姿勢と続けること

今教室に通っている大人の生徒に渡そうと思い開いた、ベートーヴェン「メヌエット ト長調」。譜面にはいろいろと書き込みがしてある。楽譜を開いて思い出したある生徒の事。そして、人生の不条理について。

 

若い彼女はとても不器用な生徒だった(不器用とは下手な訳ではなく、技術を習得するのに時間がかかるという意味)。けれども、高校に入っても辞めずにずっと教室に通い続けていた。だから、先に辞めて行った同じ年頃の生徒達よりも難しい曲を弾くようになった。

生徒さんに、彼女の話をしながら、不器用な生徒ほど何故か長続きするような傾向があって、私もそうだと言った。なぜ不器用だと長続きするのだろうか。しばらく話し込んでしまった。

 

それでふと昔話の『ウサギとカメ』を思い出した。亀のようにゆっくり進んでも、途中で進むのをやめた兎をいつかは追い越す日が来る。

 

物語にはゴールがあって、勝敗が決まる。

 

この物語は『ゆっくりでも努力をし続ける事が大切だ』という話だと思っていた。しかしながら、いつも何か引っかかっていた。

なぜ亀は勝つのか?なぜ兎は間に合わないのか?そもそも何故亀は絶対に負ける勝負に挑んだのか?

その答えが唐突に出た。

亀は勝負を続け、兎は勝負を降りた。ただそれだけだ。同じステージには乗れない2人だった。

 

物語にはゴールがあって、勝敗が決まる。しかし人生にはゴールも勝敗もない。誰かと勝負する意味もない。私が引っかかっていたのは勝ち負けにこだわる私自身だった。『ゆっくりでも努力をし続ける事』に勝ち負けなんてない。

 

今でこそ、ピアノを教え始めて30年というキャリアを築いたけれど、子供のころの私はすごく才能に恵まれた人から見たら、不器用なほうであった。手も開かないし、「あなたが弾ける楽譜がもうない」と言われたこともあった。でもこうやって続けている。不器用な若い彼女に自分を重ねてみていたのかもしれない。

 

人生にゴールがあるとすれば、それは死ぬ時なのかも知れない。
そもそもずっと同じステージで勝負し続ける人生はそう多くない。

 

その彼女も高校卒業と同時にピアノは辞めてしまった。でも不器用さをあきらめず取り組む姿勢は、すべての活動に活かされると思うし、きっと別のステージ上で輝いている事だろう。

 

人生は物語のように単純ではないし、『どんなに亀が頑張ってもサボらない兎には敵わないんじゃないの?』という人生の不条理についての答えはまだ、見つかっていないけど。

 

永く取り組むことが、よい!というわけでもないし、元から才能ある子がやんなきゃいけないってわけでもない。大事なことは、自分がやりたいと思ったことに対し、どれだけ取り組めたか。ということだと先生は思う。うん。

 

それがピアノだったら先生としてはうれしいけど^^、また別のことに出会うのもよいことだよね。先生はみんなの人生を応援しているから、ひょっこり顔を見せて…最近何があったか、ぜひ聞かせてね(^^)